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子供のピアノの才能について

こんにちはソマリカです。

先日無事長男のピアノの発表会が終わりました。発表会の曲の練習期間は3ヶ月ぐらいですが、我が子ながらすごくがんばったと思います。
そんななか我が子のピアノの才能について考えさせられたことがありました。
少し(だいぶ)親バカな部分もありますが、お許しください。

 

才能ってなんだろうか?

ピアノにかぎらず、才能ってなんでしょう?野球の才能は?テニスの才能は?もちろん勉強の才能だってあるでしょう。
それは練習だけではどうあっても超えられない壁なのか?
ある地点(レベル)に到達するまでの時間が早いか遅いかが違うというものなのか?
才能があるかないかの2段階だけではなく、その間に無数の段階もあるのでは??
といろいろと考えるわけです。

物事を成就するための3つの才能

今回我が子をみながら思ったのは、才能には大きく3つあるんじゃないかと思いました。

1つ目はいわゆる天性の才能

いわゆる才能がある、ないと一般によくいわれる才能だと思います。
努力とは別次元の才能だと思います。
程度の差はあるかもしれませんが、音感やリズム感がいいとかありますよね。そんなものも含まれると思います。

2つ目は努力が苦にならない才能

ピアノで音大に行く人も、プロのピアニストになる人もそうですが、1日何時間も練習できるんですよね。それはもうひとつの才能だと思います。私が子供のころなんかは、やはり1日30分ぐらい。がんばっても1時間の練習がやっとでした。そもそも練習が好きじゃない。

我が子も同様で、ピアノは好きなようですが練習は嫌いです。
親との取り決めで決められた回数・時間はやるものの、時間があったらピアノを練習したいというようなことにはなりません。(ゲームはほっておいたら何時間でもやるのに。)

ピアノにかぎらず、私はバスケやってましたが、やはり中には何時間でもバスケの練習をやってられる人がいました。部活の練習時間以外も練習している人。私はやはり練習はあまり好きではないので、練習時間しか練習しなかったですね。
私の場合勉強はそんななかでも努力が苦になりにくい分野の一つだったと思います。

私は才能とよばれるのはこの2つなのではないかと感じていました。ただ我が子をみて次の3つ目も実は重要なのではないかと思ったわけです。

 

3つ目はどんなに苦しくても投げ出さない(逃げない)才能

努力が苦にならないとも違うんですよね。努力は苦だし、練習も嫌い。それでも続ける・投げ出さない才能。これも一つの才能なんじゃないかと。
長男も発表会直前になると、かなり厳しい練習になり、連日泣きながら練習をしていました。何度も何度も同じ練習をさせられて、決して「練習が好き」というわけではないので練習をくりかえすようにいうと怒ったり、泣いたり。ではそれならピアノを習うのをやめるか?ときくとやはり続けると答えます。ピアノが嫌いなわけでもなく、それでも好きなんですって。

こんなにしんどい思いをしてなんで続けるんだろう?と時折思ってしまいますが、そこでやめないというのが、私は彼の才能なんじゃないかと思ってしまうわけです。
これはピアノだけというわけではなく、運動も勉強もすべてで日々の努力が好きなわけではないし、毎日親が何度もやるように仕向けないと一向に練習をしませんが、言い続けると最終的にはきちんときめられた分量はやるし、泣くことになっても辞めたいとはなりません。

そんな3つ目の才能というもあるのではないかなぁと我が子をみて考えさせられる3ヶ月となりました。

大人でもまだまだ才能の可能性はある

はじめて1年で難しい曲が弾けるとか、大人になってからピアノを初めて1日10時間練習しているとか。最近twitterをはじめて思ったのは、世の中にはいろんな人がいるんだなぁってあらためて感じました。
私には決してピアノの天性の才能があると思えませんし、努力も昔よりは苦にはなりませんが、それでも2時間程度が限界です。まぁ普通のピアノ好きなおじさんって感じですね。

親としては子供の才能を伸ばしあげたいなって思いますが、こういう粘り強い才能(性格?)もしっかりとのばしてあげたいなって改めて感じました。