こんにちはソマリカです。
たいそうな題名になってしまいましたが、どちらにしようか?物事を決断する時に選択に迷うことありませんか?私がいつも小さな選択から大きな選択まで、どうしてもどちらかに決められない時に最後に決断するための一つの指標があります。普段はあまり尊敬のできない会社の先輩から言われた言葉がきっかけですが、この言葉だけは尊敬しており未だに私の心にささってます。
選択で悩んだときに使う判断材料
それは「どちらがしんどいか。苦労するか」です。そしてそのしんどい方を選択するように心がけています。
なぜあえてしんどい方を選ぶのか
私にその話をした先輩がそこまで考えていたかは今となってはわかりません。単に私にしんどい仕事を押し付けたかっただけかもしれません。
でも私には何か引っかかるものがあり、それによってどうなるのかを考えさせられました。
スポ根みたいにしんどいことが私を成長させてくれるからみたいな理由ではなく、私にはこの指標が理にかなってるかもしれないと感じたからです。
何でもかんでもしんどいほうを選択するわけではない
上と矛盾するようですが、全てしんどいほうを選択しているわけではありません。次に書きますが、あくまでも複数の選択で迷ったときにこの物差しで物事を考えるということです。
選択に迷うということ
なぜ私達は選択に迷うのでしょうか?それはどちらの選択肢にもいい点と悪い点があって、それが50:50かもしくはそれに近いからではないでしょうか?90:10の選択なら悩むこともなく90をとりますよね。
その50:50で決められない時にどちらがしんどいことなのかを考えます。それは人は(私だけかもしれませんが)無意識にその評価の中に自分のしんどさを入れてしまうと思うからです。つまりしんどいというパラメータをとると50:50が60:40とか70:30になりどちらが実利が大きいのかがはっきりすることが多々あります。だからこそしんどいというデメリットが大きく寄与している方が結果的にメリットが大きい選択だと思うわけです。
例えば仕事であるプロジェクトを任されて、A,Bどちらのやり方で進めるか迷った時などに使います。そんな大それたことでなくても、ピアノの発表会に出るかでないか?ストリートピアノに挑戦するかしないか?みたいな選択にも使います。
そもそもしんどさを差し引いて同じぐらいのメリット・デメリットがある選択はしんどくないほうを迷わずに決めていることが多いので、選択では迷わないということです。
でもそれは息ぐるしい生き方だと思う
こういう考えで選択をしていますが、それは自分がしんどいという事象を無視することでもあります。なので非常に息ぐるしい生き方だなぁとも思うし、損な生き方だとも思います。
ただ客観的にはメリットの大きいほうを選んで生きているので、他人からは要領よく見えるとおもいます。
他人に強要したらパワハラ
注意が必要なのは他人に向かって選択を迫るのはパワハラです。これはあくまでも自分の選択の物差しとしてしかつかえないものです。
先輩がこういった言い方で私に仕事をまわしたのはパワハラでしかないとおもいます。
全然音楽とは関係ありませんが、久しぶりにその方にお会いして思い出しました。
最後までお読みいただきありがとうございます。